東松島市議会 2021-09-14 09月14日-一般質問-04号
◆12番(長谷川博) 今くしくも第一柳の目踏切か、そこの閉鎖のこともちょっと語られましたが、このことを、私のぼやきになるかもしれませんが、踏切一つ閉めないと云々というやつ、昭和の時代ならいざ知らず、今車がどんどん増加して、交通量も増えて、今車社会です。
◆12番(長谷川博) 今くしくも第一柳の目踏切か、そこの閉鎖のこともちょっと語られましたが、このことを、私のぼやきになるかもしれませんが、踏切一つ閉めないと云々というやつ、昭和の時代ならいざ知らず、今車がどんどん増加して、交通量も増えて、今車社会です。
52: ◎4番(村上伸子君) やはり、ネックになるのは車社会であるということですね。車があるのでというのは答えだと思います。ただ、今回のこの質問の最終目標というのは、車がなくなったときのことですね。
それを考えると、原子力発電所依存度を恐らく20%、22%くらいの割合に下げていくというおおまかな指針はあるのですけれども、現在の状況でいくと、新規の原子力発電所を確保しないと、恐らくその20%すらも確保できないという状況になって、御存じのとおり菅政権になって以降、経済界も含めて、車社会もハイブリッドあるいはプラグインハイブリッドということで、恐らく2050年度まで電気需要が20%から30%さらに伸びるのではないかということで
車社会の進展や郊外への住宅地・商業施設の立地といった要因から、中心市街地が空洞化し、やむを得ず閉店となっている店舗が見受けられますが、空き店舗を活用して出店する事業者の支援を行い、中心市街地の商店街活性化につなげていきたいと考えております。
時代の流れは、地元密着の商店から車社会の発達に伴い郊外型のショッピングセンターへ移行しましたが、高齢化社会を迎えたことにより、今後はショッピングセンターと、そして交通弱者の高齢者が必要とする宅配や地元商店への回帰との二極化が進むのではないかと考えています。
その当時、建設に当たりまして避難道路の必要性ということなのですが、実際当時まだ車社会でなかった、車はまだ非常に少ない時代であったということと、原子力発電所はかなり安全にできているということがありまして、避難道路ということに対して少し考えが足りなかったのかなという思いはあります。
88 ◯5番(大野栄光議員) 毎日の生活は車社会の現在、集落内の道路整備は必要不可欠かと私も思います。北区地区内におきましては、数年前、この地区において建物火災が発生しております。消防車の車両が思うように消火活動ができない事案が発生しております。高齢化が進む本市においても、緊急車両等が進入するのに苦慮するようなところも多々ございます。
さらに、車社会の昨今、センターの駐車場は狭く、石ころだらけであり、利用者からは行政の対応に不満の声が上がっております。地区では、駐車場整備の要望、嘆願書の声も上がっております。その前に早急に調査し、整備すべきであるが、考えを伺います。 ○議長(大橋博之) 市長。
車社会に適した利便性のよい場所に移転し、必要な資料の収集の場、知識や情報を高める場、市民の交流の場として民間委託などを検討された図書館の新設を期待しますが、いかがか伺います。 以上で重点施策3の質疑といたします。 ◎亀山紘市長 子育てしやすい環境づくりについてお答えいたします。
車社会の現代、冬季の日常生活を円滑に進めるためには、朝の出勤時までには除雪をしなければなりませんし、除雪をした雪を排雪もしなければならないのであります。 本市では、幹線・主要道路については、市費により除雪・融雪作業をしていただいておりますが、それ以外の市が管理する市道については、自治会住民によって除排雪・融雪をしているのが実態であります。
アメリカのような車社会でも、歩くことが楽しい通り、歩きたくなる通りは人気があり、そこに住みたいという評価も高まります。車を使わず、徒歩や自転車またはバスやライトレールを使って二十分以内の場所に仕事場があり、買い物ができ、レストランやバーに行ける。二十分圏内でふだんの生活に必要なものが何でもそろうコミュニティーがポートランド市内には幾つも存在しております。
一方、仙台においてはやはり、現役世代の方々にとっては、本人の移動とともに物品の移動も含めたところでいくと、どうしてもがさのあるものなんかは車等に載せて動かなければいけないというところで、車社会がどうしても必然としているまちであるということ。
協力しているんだろうと思いますけれども、現実車社会の中でその辺はどのように考えていくのか。教育もあったけれども、やはり宮城県でつくるというときには、仙台というのはやはり人口が多いし車がいっぱいあるからここに来たと思うんです。どこでもよければ仙台につくるわけじゃないんですから。
そういった中で、鉄道での観光について今見直し、あるいは注目されているところではありますが、どうしても車社会でありますので、車で来るこれまでのお客さんが多かったということを把握しますと、工事中ですとどうしても敬遠されると、それが遊覧船等々にも非常に響いているという実態と申しますか、ありますので、これは2年おくれる、できればその2年内に、予定内に何とか終了してほしいものだなというふうに願っているところも
今車社会、鉄道の必要性がはてなという時代にもなっておりますが、その反面、車の免許証を高齢のためにお返ししますという方々も多くなっております。団塊の世代、これは車のみでなく御夫婦健在で、三陸沿岸の旅をしようかと、列車に乗ってみようかという観光人口もふえるわけであります。
一方では、車産業や車社会ですから、ガソリンから抜けるということで水素関係だのやって、宮城県も幸町のところに建設しているんだけれども、なかなか進んでいかない。だから大きい関係ではみんなでいろいろ言うけれども、形がなかなか難しいと。 我々がこの委員会で行政と一緒に取り組めるのは、今お話をずっと聞いていて、小さいことが一番やっぱりいいんじゃないかと。
伊達政宗が仙台にまちを開いた際に整備された東一番町から十番町までの南北の道と、さきに挙げた定禅寺通や青葉通と広瀬通を含め東西に走る3本の太い通りにより、車社会に対応し、防災の面では火事に強いまちの区画が描かれました。そして、幅広の通りには景観上からさらに緑がもたらす癒しの効果などを持つ街路樹が植栽されました。
それぞれの地区において市民を車社会から、そして、交通事故から命を守るための活動を続けているということは周知の事実でございます。しかし、協会の運営についてであります。
仙台まで行くのはひどいですよ、本吉と気仙沼、しかしながら我々はずっと車社会にどっぷりとつかって、誰もなかなか使わない。私のところに東京から出張してくる人に、何で来たのと、BRTで来たと、私はびっくりしてしまって、それで、そこまで送り迎えしているんだけれども。 都会の人はそういうのが頭にあるんですが、我々はあくまで車でしか、頭の隅にでもなかったですね、私は。通院と通学ぐらいの人しか使っていない。
車社会になるんだという先見性があったと。こういう生きた教育というのをしっかり教えていくというのは、幅広い、非常に子供たちに、この仙台のまちであるとか、そういう、今何でこうなっているんだというまちの形からも、その歴史を振り返ったり、そしてそのときに活躍した人たちであるとか、そういうことを教えていくというのは、非常に大事なことであると。